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「学問のすゝめ」のススメ。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/10/26

誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。
一万円札の肖像で知られる福澤諭吉の名著。
 
  
 
おそらく教科書でも習ったことはありながら、
実際に読んだことがある人は殆どいない。。。
恥ずかしながら、私も長らくその一人でした。
 
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」
のフレーズだけを取り上げて、身分の差別なく
人々は皆、平等である!と言った偉い人です…
という勘違いを(意図的に?)助長させるのが
教育現場の実態なのかも知れません。正しくは、
 
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は
万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)
上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きを
もって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって
衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げを
なさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの
趣意なり。
 
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、
富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様
雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
 
その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、
「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりて
できるものなり。
 
と続いていきます。
つまり、人は生まれながらにして平等だけれど、
その人生(結果)は同じではない。勉強した方が
富める暮らし、立派な人になるのですよってこと。
 
だからこそ「学問のすすめ」なのです。
学校の先生から、この本質を聞いた記憶…
ありませんよね。何でなのでしょうか?
 
多分、先生も読んでないからだと察します。
150年ほど前の著作ながら、その記述は文語体。
我々が使う現代日本語と比較すると読みにくい。
なので、現代語訳版の本が出てくるのですね。
 
以下、そこからいくつか引用致します。
 
~自由とはわがままのことではない~
自由とわがままの境目というのは、
他人の害となることをするかしないか。
自分のお金を使ってすることなら、
酒や女遊びにおぼれてやりたい放題
やっても、自由であるからかまわない、
というように思えるかもしれないけれど
決してそうではない。やりたい放題では
他の人の悪い手本になって、やがては
世の中の空気(風紀)を乱してしまう。
人の教育にも害になるものであるから、
浪費したお金はその人のものであっても、
その罪は許されないのだ。
 
なるほど。なかなか厳しいが納得します。
また、国のことに関するこんな記述も。
 
~国家の独立とは何か~
自由独立ということは、個人だけのこと
ではなくて、国においても言えることだ。
この日本はアジアの東の島国であって、
むかしから外国と交わりを結ばなかった。
自国の産物で自給自足していたが、
嘉永年間にアメリカからペリーが来て
外国との交わりがはじまった。
そして今日に至ったわけだ。なお、
開港した後でも「鎖国」や「攘夷」などと
うるさく言っていた者もいるが、
たいへん狭いものの見方であり、諺に
言う「井の中の蛙」のようなものだ。
こういう議論はとるにたらない。
 
たしかに。ごもっとも。
現代社会においても変化を望まない輩は
少なからずいらっしゃいますからね。
さらに続きます。
 
日本といっても、西洋諸国といっても、
同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、
同じ月を眺めて、海を共にし、空気を共にし、
人情が同じように通い合う人間同士である。
こちらで余っているものは向こうに渡し、
向こうで余っているものはこちらにもらう。
お互いに教え学びあい、恥じることも
いばることもない。お互いに便利に
いいようにし、お互いの幸福を祈る。
 
まだ序文なのに、ここまで読んで
恥ずかしながら万札を「ユキチ」と
軽々しく読んでいた自分を恥じました。
「これからは福澤先生と呼ぼう!」
遅まきながら、そう心に誓いました。
 
~ひどい政府は愚かな民が作る~
世の中で学問のない国民ほど哀れで
憎むべきものはない。知恵がないのが
極まると恥を知らなくなる。自分の
無知のゆえに貧乏になり、経済的に
追い込まれたときに、自分の身を
反省せずに金持ちをうらんだり、
はなはだしくなると、集団で乱暴を
するということもある。これは恥知らず
であり、法を恐れない行為である。
西洋のことわざにある「愚かな民の上には
厳しい政府がある」というのはこのことだ。
これは政府が厳しいというより、民が愚か
であることから自ら招いたわざわいである。
愚かな民の上に厳しい政府があるとする
ならば、よい民の上にはよい政府がある、
という理屈になる。今この日本においても
このレベルの人民があるから、
このレベルの政府があるのだ。
 
とまぁ、本当に切れ味が鋭いのです。
普段思っていることを巧みな言葉で
表現してくれるとスッキリ気持ちいい。
そんな爽快感を味わえます。
 
ただ文字を読むことで学問と思うなかれ。
「論語読みの論語知らず」、「文字の問屋」、
「メシを食う字引」などと非常に辛辣です。
 
「私裁」のうちで最も極端で、
政治を最も害するのは暗殺である。
徳川時代に、浅野家の家来が、主人の
敵討ちだといって吉良上野介を殺した。
世にこれを「赤穂の義士」とか「忠臣蔵」と
称するが大間違いである。
 
年末になるとテレビで目にする名作?も
福澤先生にかかってはボロのチョン。
勿論、その理由も述べられてます。
 
およそ世の中に、何がうまい商売かって、
税金を払って政府の保護を買うほど
安いものはない。
 
日常のすべてを自分のカネで賄おうすれば
とても高くつく。水と安全はタダ同然だと
誤認識してる現代人には、考えさせられます。
 
そもそも文明とは、人間の知恵や徳を
進歩させ、人々が自分自身の主人となって
世間で交わり、お互いに害しあうことなく
それぞれの権理(原文ママ)が十分に
実現され、社会全体の安全と繁栄を
達することである。
 
西洋人の研究によると男子が生まれる数は
女子よりも多く、男子が22人に対して、
女子が生まれるのは20人だということだ。
とすれば、1人の男が2~3人の女性を娶る
のは、天の道理に背くことが明白である。
ケダモノである。父を同じくし、
母を同じくするものを兄弟と名づけ、
父母と兄弟とが住むところを家と名づける。
しかし、兄弟の父親は同じだけれども、
母親は異なっており、父親ひとりが独立
していて、母親たちがそのまわりで群れを
なすというのは、人類の家といえるのか。
家の定義に反するではないか。
私の目から見れば、これは人の家ではない。
家畜小屋である。妻と妾が同じ家にいて
家の中がよく調和しているなどという話は、
古今にその例を聞かない。
 
国として、個人としての独立や、
法を守ることの重要性、税金を
正しく納めることが結局は得策。
世の中を正しく健全に保つための
ヒントが随所に鏤められています。
 
人間のやることには、内側でのことと外に
対してやることの二つの面がある。両方を
きちんとやらなくてはならない。なのに、
いまの学者は、内側一辺倒で、外に対して
やるべきことを知らない人間が多い。
内側にあるものは淵のように深く、
人と接しては飛ぶ鳥のように活発であり、
学問上の緻密さは内に向かって限りなく、
学問活用の広がりは外に向かって際限がない。
こうなって、はじめて真の学者と言えるのだ。

 
いま、若い学生が酒や異性にもおぼれず、
きちんと生活してちゃんと勉強すれば、
家族や目上の人間にも叱られることなく、
誇らしげになることに思えるけれども、
これはただほかのだらしない学生に比べての
ことにすぎない。きちんと生活し勉強する
のは、人間として当然のこと。ほめるほどの
ことではない。人間の使命としては、
ほかにもっと高いものがなければならない。
 
う~ん。我々現代人は負けているのかも?
文明が進んだ後の世では、生活保護といった
制度まで出来ましたが、はたして文化的な
日常をもたらしたと言えるのでしょうか。
 
文明とは、世界中の過去の人々が一体と
なって、いまの世界中の人(我々)に譲り
渡してくれた遺産なのであって、その大きく
広いことは土地や財産とは比べ物にならない。
 
この恩にどう報いることが出来るのか?
そう考えたときに、今を生きる我々には
文明を進め、後世にそれを残す義務がある。
なので学問が必要なのだと説かれてます。
そう言われると、スッと腹落ちします。
けれど、こういう話が通じない相手も
居たのでしょうね。今も昔も同じかな。
 
およそ人間には、いろいろな欠点があるもの
だが、人間社会において最大の害があるのが、
「怨望(えんぼう)」である。驕りと勇敢さ、
粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と
機敏さはペアになっているものであって、
どれもみな場面と、程度と、方向性によって
欠点ともなるし、美点にもなるものだ。
ただ一つ、そもそもの働きにおいて完全に
欠点一色で、どんな場面でもどんな方向性
でも、欠点中の欠点といえるのが怨望である。
怨望は、働き方が陰険で、進んで何かをなす
こともない。他人の様子をみて自分に不平を
いだき、自分のことを反省もせずに他人に
多くを求める。そして、その不平を解消して
満足する方法は、自分に得になることではなく、
他人に害を与えることにある。怨望とは、公共の
利益を犠牲にして私怨をはらすものなのだ。
 
現代社会でもときどき起こる痛ましい事件は
まさしくコレ。150年も前からこのような
良書が出ているのに、読まれていないとは…。
 
信じることには偽りが多く、
疑うことには真理が多い。
 
信じる、疑うということについては、
取捨選択するための判断力が必要です。
学問というのは、この判断力を確立する
ためにあるのだと言われたら信じますか?
それとも偽りだと解釈して、疑いますか?
 
隣の国の書物を引いて親孝行にも触れてます。
寒い中、氷の上に裸で寝て、体温で氷を解かして
母の欲しがる鯉を捕るとか、真夏の夜に、
自分の体に酒を降りかけ蚊を招き寄せて、
親を蚊から守る(酒より蚊帳を買いなさい!)とか。
真偽のほどは分かりませんが、ネタ的には面白い。
十人に一人が読んだという当時のベストセラー。
もっと早く手に取るべきだったと悔やまれます。
 
一杯、人、酒を飲み、三杯、酒、人を呑む。
 
これはもはや、エンタメなのかも知れません。
 
 
 
現在、最初に戻って3回目を読進中です。
 
【おまけ】
https://www.youtube.com/watch?v=f26lCrGjPAs

国騒。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/09/28

昨日、安倍元総理の国葬儀が執り行われました。
全費用を国で負担することへの賛否があるのは
承知していますが、たかだか約16億円のこと。
一家4人でも52円程度でそこまで騒ぎますか?
 
「国葬の法的な根拠がない」とか、
「国会を通さず軽視している」とか、
「弔意の強制は許されない!」とか。
滅茶苦茶な論理がまかり通ってて呆れます。
 
内閣は行政府です。それが閣議で決めました。
立法府たる国会と、司法を預かる裁判所。
 
 
 
立法と司法以外はすべて行政の権能ですから、
本当は全く法的な問題がない。それが証拠に
日本弁護士連合会は何ら声明を出してません。
あの何にでもかみつく日弁連がダンマリです。
(つまりは反論するだけの法的根拠がない!)
そのことはよくよく認識されるべきでしょう。
 
ギャーギャー騒ぐ野党議員はもしかすると
国会が立法府であることを知らないのかも?
元々法律を作ろうという義務感も能力もなく、
与党の足を引っ張ることだけに終始する人々。
メディア向けパフォーマンスの機会を失い、
嫌がらせをしているだけに思えてなりません。
 
閣僚がどの国際会議へ参加するかとか、
その場でいくらの資金を拠出するかとか、
我々は結構頻繁に目にしてると思います。
 
 
 
先月の第8回TICAD(アフリカ開発会議)では
今後3年間で総額300億ドル(約4兆円)規模の
経済支援を行うと岸田総理は表明しました。
3年とはいえ一家4人で約13万円という金額。
コッチはまったくスルーしてていいの?
 
「十分な説明がない」という声もあります。
それに対して、政府は「丁寧な説明」を
心がけようとしていますが、全く無意味。
マスコミに煽られ「まだ足りない!」との
方向へ持っていかれるのが目に見えてます。
 
まるで隣国からしつこく謝罪を求められて、
その必要がないのに一度謝ったが最後、
何度も何度もお代わりを要求されるが如き。
もしや、ソッチの人たちが主導してるのか?
と訝りたくもなります。ここは日本ですよ!
 
村八分(むらはちぶ)という言葉があります。
掟や慣習を破った者に課される制裁なので、
あんまり良いイメージはありませんけど、
 
 
 
断絶した関係でも火事消火と葬式だけは別。
木造家屋中心の日本で火災は本当に一大事。
村人総出で対応にあたるのも当然でしょう。
そして死んでしまえば仏様。いくら生前に
厄介ごとの多かった者でも、葬式を出し、
手を合わせて見送る。それが日本人です。
日本古来の感覚とはそういうものなのです。
 
ましてや安倍元総理は暗殺されました。
昼日中の銃撃が暗殺というのも妙ですが、
これがテロでなくて何なのでしょうか?
しかも元内閣総理大臣による選挙中の
応援演説ですもの。それだけでもう十分。
 
「安倍氏を国葬儀で送らないとするなら、
 我が国はテロに屈する国だという誤った
 メッセージを発することになってしまう」
 
これこそ岸田総理が言うべき「説明」です。
十分とか丁寧とか回数とかの問題ではない。
本質を外さずに正しく言うべきことを言う。
それに尽きるでしょう。他言は無用です。
 
宗教団体との関係から犯人も被害者、
撃たれる方にもその理由があるとか、
政治と宗教は分離されねばならぬとか、
膿は出しきるべきだとか、妙な方向へ
論点がスライドされている気がします。

つーか、犯人がペラペラと喋った内容を
まことしやかに信じるバカがどこにいる?
それこそ、テロリストの思う壺ですから。
 
関西〇コンの疑惑が消えない参院議員。
彼女を仮に銃撃でもしようものなら、
テレビも新聞も大騒ぎするでしょう。

 
 
 
また、その所属政党とR会との関係は
微塵も伝えませんし、与党であっても
長年にわたり国交大臣ポストを牛耳る
K党とS学会の関係にも沈黙しています。
 
結局のところ、マスコミの偏向報道。
それによって世論は作られるのです。
テレビ、新聞、高齢者、固定電話調査。
まさに偏向世論形成工作の実態です。

 
一般献花には多くの人々が訪れてました。
九段坂公園へのアクセスは最寄り駅でなく
およそ1.4km離れた駅とのこと。普通なら
徒歩で約20分の距離ですが、献花場所とは
反対方向へ人は流れていきます。なんと!
行列の最後尾へと移動する人の列でした。
 
 
 
途中で献花を買い求めるための行列を
横目に見ながら多くの人が並びました。
(目的地まで最短距離では近づけず)
いくつも設けられる折り返し地点、
30℃に迫る気温、トイレのない不安、
沿道でビラを配る年配女性たちの圧、
一体どれだけ並ぶことになるのだろう?
それでも文句を言う声は聞こえません。
 
やはり大和西大寺駅での献花行列と同様、
若い人が多い。なのに報道のカメラは
年配者を選んでインタビューしてました。
 
滝廉太郎居住地跡近くで迂回しながら
ようやく辿り着いた墓苑入口を南下し、
英国大使館を横目に最高裁判所を通過。
三宅坂で折り返して千鳥ヶ淵公園へ。
 
結局、11時から並ぶこと2時間半ほどで
手荷物検査の場所へと辿り着きました。
カバンを開いて中身を見せ、飲み物が
ある場合は一口飲むように指示される。
 
インド大使館が見えてきたと思ったら、
その後まもなく献花の用意を促され、
歩きつつ紙袋から取り出したその瞬間、
一気に視界が開け、多数の内閣府職員と
報道関係者、2つの献花台が目の前に。
 
くしくも間近に迫る日本武道館での
国葬儀が始まる時刻の少し前でした。

 
献花を終えた人の多くは道を渡って
靖国神社へと向かってるようです。
参道を通って拝殿に歩みを進めると
そこにも多くの行列がありました。
列に加わり待つこと暫し…。ドーン!
どこからか空砲を撃つ音を耳にして、
これが弔砲か…と聞き入りました。
 
参拝を終えて駅に向かっていると、
次第に大きくなるデモ隊の奇声。
国葬儀に反対する人、その抗議に
反対する人、何故か反原発の連中、
アベガーを支持するメディア関係者、
彼らの誰とも相容れない右翼街宣車、
そしてこのカオスな状況を熱心に
中継している海外のプレスなどなど。
 
 
 
言論の自由があるのは素晴らしい。
けれど「弔意の強制」などないし、
弔意を示したい人を邪魔する行為は
「内心の自由」に抵触するのでは?
と愚劣な行いを咎めたくもなります。
 
多くの人は些細なことでは騒ぎません。
それは相手にも立場や訳があるからと
事情を慮るがため。それが日本人です。
けれど、忖度が通じない人もいます。
「下手に出てりゃ付け上がりやがって」
というフレーズは久しく聞いてませんが、
それに近い状況が実際に起きてました。
 
多数派日本人とは大きく異なる価値観。
安倍元総理が闘ったコンナヒトタチ!
 
 
 
旧統〇教会がカルト宗教だという事実は
広く知られるところですが、本質的に
日本人の贖罪意識に働きかけることで、
財産を巻き上げて北へと送るスキーム。
日本人が不幸になることを防ぐため、
霊感商法の被害者救済を目指した人こそ
安倍晋三元総理だというのが真実です。
 
拉致被害者の奪還は全く道半ばですし、
この原稿を書いている最中にも北から
弾道ミサイル?が発射されたという
速報が入りました。今年だけで20回目!
 
テレビ、新聞、学者、ジャーナリスト、
国会議員などにもスパイが入り込み、
日本や国民のためにならないことが
大きく取り上げられている昨今ですが、
彼らには日本国の弱体化を図ることで
隷属させようという大目的があります。
これはC国もK国も同じです。しかも、
その矢面で闘った御仁はもういません。
 
アベガーたちは国葬儀の終了とともに
「安倍ロスで死んじゃうんじゃ?」と
茶化されてますけど、なんのなんの。
そんな玉じゃない。コンナヒトタチは。
 
  
 
困らないことなら放っておけばいい。
けれど厄介案件なら騒ぐ必要がある。
期待と責任を一身に背負いながら、
コンナヒトタチと闘っていた安倍さん。
一連の行事が終了したこれから先も
「アベ政治を許さない!」と叫ぶなら、
それは日本人ではない。敵性人物だと
を挙げて、大ぎするべきでしょう。

(当日の現場で体感した印象からして)
国葬賛成の人は全然少なくないですから。
 
 

 
~追 記~
 
自民党の麻生太郎副総裁が福岡市での講演で、
賛否が割れた安倍晋三元総理の国葬について、
 
「色々な話がわんわん出ていたが、何時間も
 かけてずっと若い人なんかが並んで立っている。
 それが国葬の現場だ」
 
「その人たちの声が何故、新聞やらマスコミには
 載らんのですか?」
 
「強制されたわけでもなんでもない。あれだけ
 多くの人が夜まで並んでいる状況を見て、
 何とも言えない気持ちになった」と語ったそう。
 
まさに反安倍一色のオールドメディアに対し、
長時間であっても黙々と列に並ぶことを通じて
静かな(しかし熱い信念をもって)抵抗を示した
人が多かったように思います。誰かが言った、
 
「それも含めて安倍さんへの供養だと思います」
 
この言葉に、すべてが表されている気がしました。
  

祝! 行動制限のない夏。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/08/17

昨夜、京都五山送り火が営まれました。
フルスペックでの実施は実に3年振り。
 

     
 
関西に暮らしている人なら、何となく

(もちろん報道を通じてのものですが)

この五山送り火を見ないうちはお盆も
終わった気がしないんじゃないかな…。
少なくとも私は、そう考える派です。
 
新型コロナとの付き合いも2年半余り。
もはや、何が新型なのかも不明ながら、
未だに毎日「感染者」の数を報じてる。
肺炎を引き起こすのが怖かったので、
当初は用心していたこの病気ですが、
オミクロン株の出現で一変しました。
 
 
 
症状も風邪と見分けがつきにくい?
それって、風邪なんじゃないの?
おそらく3年前ならそう考えたハズ。
我々はインフルエンザの流行下でも
ワクチン接種は個人の裁量であり、
費用は専ら自己負担でしたからね。
 
 
 
けど、肺炎にはなりたくないから…
と身銭を切って接種してたんですよ。
まれにしか肺炎にならない「風邪」なら
(万病のもとなので油断は禁物ですが)
上気道の症状だけなので耐えられる?

 
実は、オミクロン型はコッチなのです。
だから、行動制限は発出されないし、
症状があっても軽いから往来するし、
無料PCR検査があるせいで捕捉される。
結果的に、医者も看護師も隔離され、
「医療崩壊」に至るという悪循環。
 
いつまでこんなことをやるんだろ?
 
今月初めには、軽症者は自宅で待機を!
と感染症学会が記者会見で言ってたっけ。
 
 
 
体調悪いのに病院行っちゃいけないのか!
医師法の応召義務違反なんじゃないの?
 
余りに酷いテキトーぶりに国民も呆れ、
制限ないなら自由に外出するし、仮に
症状があっても軽ければ放っておく。
(検査で陽性だと何かと面倒なので、)
容体悪化で医者が検査する以外は放置。
そう変化してきているように思います。
 
お陰で、自由に出かけられていますよ。
同様に考える人も多いのか、行楽地は
結構な賑わい。しかも外国人が少ない!
遠出するなら今がチャンスか…と思い、
お盆休みに少し足を延ばしてきました。

前から行きたかった、白米千枚田です。
 
 
 
よく見ると、安倍元総理夫人のお名前!
すぐ近くに某政治家の田んぼもあるけど
若干狭小だったので武士の情けで伏せます。
 
N〇Kのブ〇タ〇リでも紹介してましたが、
年に数センチずつ海側へ滑ってるらしく
いずれこの光景が見られなくなるかも?
と少なからず心配になります。何とかして
この素晴らしい景観を次世代へ残そうと
尽力されている人々がいらっしゃるので
出来るだけの応援をしたいと思います。
 
景観だけではありません。人だってそう。
そもそもお会いできる機会自体稀ですし、
人には、悲しいかな…寿命があります。

 
 
 
それなのに、行動制限されるばかりでは
何もできずに自分の寿命も尽き果てます。
 
近く、この病気の感染法に基づく分類を
見直し、2類(という名の1類以上)から
5類にすることも検討されるようですが、
なかなかハードルは高そうな感じですね。
 
5類に落とせばインフルエンザ並なので、
「感染者」の全数把握も必要がなくなり、
医療崩壊の懸念は相当薄くなるでしょう。
その反面、治療費を国費で賄うことも
なくなるため、この病気で潤っていた
関係者等が少なからず抵抗するだろうと
十分考えられます…ってか、今がそう。
 
欧米各国では、殆どの人々がマスクなし。
おそらく彼らは手洗いもしていないハズ。
それでも日常生活に支障はないようです。
 
翻って日本はどうでしょうか。今なお、
何処へ行ってもマスクと消毒は必須。
ワクチン打ってりゃイイんじゃないの?
と思わなくもないですが、結局のところ

 
 
 
…感染症法に基づく分類。
 
コレを弱めることで長かった騒動も終息。
何とかそれを遠ざけたい特別な人々との
最後の攻防をやってるようにも思えます。

 
なので、行きたいところへ行くし、
会いたい人がいれば会いに行く。
バーチャルの便利さも分かりますが、
やはり、リアルに勝るものなし。
 
  
 
そのことを強く実感した令和4年の夏です。

著しい劣化。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/07/12

巨星、墜つ。
 
先週、安倍晋三元総理が凶弾に倒れ
この世を去りました。享年67歳。
くしくもご尊父・安倍晋太郎元外相と
同じご年齢だったそうです。何とも…。
 
昼のニュースで一報に触れたときに、
嫌な予感がしたことは記憶に新しい。
いつか不埒者に襲われるのではないか。
またそうなっても不思議はないかもと
常々思っていたので、ついに来たか!
と同時に、さすがに今回は分が悪そう…。
しきりに胸が騒いだのを思い出します。
 
「参院選の最中、民主主義への挑戦だ!」
日頃はアベ批判ばかりの連中まで一斉に
尤もらしいコメントを発してましたが、
後からなら何とでも言えるでしょう。
翌日の新聞1面は揃って同じ見出し。 
 
 
 
天寿を全うしたり、病気や交通事故で
亡くなられたのではないんですよ。
つまり、通常の死去・死亡とは違う。
これは銃撃による殺害。なぜ弱めるか!
 
強い言葉の使用には決意が必要です。
躊躇いがあるなら無難なセンでいけ!
新聞各社がそう考えたのでしょうか。
或いは、A新聞あたりが音頭をとって
全紙がそれに合わせたのでしょうか。

かつて「安倍の葬式はうちで出す」と
元主筆がそう発言した新聞社ですから。
揃って「死亡」とは…とても不愉快。

 
海外では、Shinzo Abe assassinated、
あるいは、killing と表現されてます。
つまりは「暗殺」であり「殺害」だと。
どう考えてもそうでしょう。そのくせ、
思想的背景なしとか元海上自衛官とか、
必要のない情報ばかりを伝えたがる。
現時点で何者なのか、無職は無職だろ!
 
ましてや、参院選の期間中とはいえ
平日の真昼間に私服姿の男がいれば、
疑ってかかるのが警察という生き物。
演説を聴く態度や持っている鞄など
誰ひとり警戒しなかったことも不可解。
 
かつ、前日の未明に渦中の宗教施設へ
試し撃ちが行われて警察へも通報が
届いているというのに甚だ呆れます。
 
まさか、警備を緩めるような指示でも?

 
 
 
れいによって警備体制に不備はないか?
犯人の動機は何か?いかにして凶器は
作られたのか?とマスコミは報じます。
なかなか会見をしなかった奈良県警の
本部長へも責任について問うてますが、
要人を警護できていない時点で0点。
問題は大アリだし、警備警護の失敗は
誰の目にも明白です。しかも発砲後に
何人もの警察官が犯人確保に走り出し、
要人の更なる警護や救命、建物からの
狙撃が行われた可能性を疑うそぶりも
確認されていないのが今回の現実です。
 
日本ではテロは起こらないという油断。
発砲音に身がすくみ、取るべき行動が
まったく見られない。圧倒的な訓練不足
なのでしょう。映像で確認すると被害者が
一番堂々と振舞っているようにも見える。
これが逆だったらどれほどよかったか。
 
年に1件あるかないかの銃撃による死者。
それがよりにもよって、安倍元総理とは…。

 
奈良県には名所旧跡が数多くあります。
歴代天皇の御陵には皇族方も参拝される。
こんな県警で本当にお守り出来るのか?
 
 
 
想定できなかったとか、不運が重なった
アクシデントだとか、思考停止したかの
ようなフワッとした空気感。明らかに変。
 
発砲後わずか15分で、共同通信が報じた
犯人の氏名と海上自衛隊勤務という経歴。
死してもなお、モリカケサクラを論い、
疑惑の解明は闇の中だと言い続けるなら、
この事件にこそ疑惑や闇が満ちています。
少なくとも海外ではそう見ているのだそう。

 
けど、後からでは何とでも言えます。
現職総理は「民主主義への冒涜だ」と
判で押したように意味のない文言を
繰り返してますが、本質はそこじゃない!
 
犯人は母親がのめり込んだ宗教団体への
恨みから勘違いして犯行に及びました。

(というのが、あくまで表向きの動機)
 
重要なのは、日本の偉大な政治家であり、
憲政史上最長の在職期間を誇る元総理、
かつ現職の代議士であり、与党最大の
派閥会長、そして地球儀を俯瞰する外交で
ワールドクラスの活躍をした日本の宝を
死なせてしまったという現実。…嗚呼。

 
闘う政治家だった彼には、敵も数多いる。
 
    
 
それでも日本の地位を高め、経済を強化。
民主党政権で著しく毀損した日米同盟を
かつてないほど揺るぎないレベルへと
押し上げ、インド太平洋構想を提唱して
世界を率いた歴史上初の日本人でした。
 
それが証拠に世界各国の反応がスゴい!
現職の首脳たちが軒並み弔意を表明し、
政府の関連機関では半旗を掲げました。
ブラジルでも3日間、インドでは9日間、
「国として喪に服す」と発表しています。
 
だというのに、対する日本側は平常運転。
在外日本大使館へ弔問客が続々訪れるも、
献花台すら設けていないというお粗末さ。
国内での半旗掲揚も指摘を受けてから
ようやく対応したもので後手後手です。
 
あまりにもズレてはいないだろうか…。

 
 
 
「過去には前例のないことなので」は
お役所仕事と言えばそれまでですが、
在職期間は歴代最長で、世界的にも
大きな仕事を成し遂げたリーダーの死。
「前例踏襲意識では対応できない」と
なぜ閣僚たちは考えないのでしょうか。
或いは、気を利かせて進言する側近が
何故いらっしゃらないのでしょうか。
ことは深刻。著しく劣化しています。
 
日本の伝統的価値観を重んじる人々。
いわゆる保守層にとっては精神的な
支柱でもあった御仁が亡くなったのです。
英国女王ですら弔辞を出す異例の対応。
(本来政治家は「僕」なので極めて特別)
人として余程好かれていたのでしょう。
岸田内閣はこの重大さをよくよく考えよ!
国葬でお送りするべき事案だと思います。
 
事件翌日の大和西大寺駅。現場近くには
献花に訪れる長い長い行列がありました。
意外なことに、若い人の姿が多かった。
「安倍さんってこんなに人気あったの?」
何気にそんな声を耳にして驚きました。
 
新聞を定期購読している高齢者かな。
あるいは1日中テレビを眺めている
ニートだろうか。いずれにしても、
本当のことって知られてないのだな。
 
 
 
今年に入り、武力による侵略戦争勃発。
それに伴う、エネルギーや食糧の高騰。
最近は電力不足の懸念から、節電を
呼びかけられるようにまでなりました。

一体、今はナニ時代なのでしょうか?
それでいてEV推進…。狂ってますな。
加えて、いまだに続く「感染」の拡大?
 
21世紀を20年以上も経過していながら、
世の中は、便利で快適で平和で安全…
どころか状況は悪化しているかのよう。
 
いくら文明が発達しても使うのは人間。
テクノロジーは進化しても、当の人間が
劣化しているのなら目も当てられません。
 
それぞれが平和ボケの中、前例踏襲する
ことに何ら疑問を感じないようでは、
当たり前に送る日常は維持できません。
 
 
 
残念ながら日本の弱体化を望む隣国は
複数存在します。間違いなく嫌がらせを
仕掛けてくるでしょう。以前にも増して。
 
今回の痛ましい事件をきっかけとして、
多くの人々が現状認識の甘さに気づき、
対応策を一層強化していかなければ!
 
ここ最近の著しい劣化を大変危惧します。
 
「主人も政治家としてやり残したことは
たくさんあったと思うが、種をいっぱい
まいているので、それが芽吹くことでしょう」
 
昭恵夫人が仰ったように、故人の遺志を
継ぎ、長年の悲願を成し遂げて、この国を
前に進めていかれるよう願ってやみません。
 
私自身は種一粒の欠片にも程遠いのですが、
覚醒する人を増やし劣化を食い止めるべく、
少しでもお手伝いがしたいと考えます。

 
  
 
我が国の憲政史上、最強最高だったリーダーへ
「日本は大丈夫です」とご報告が出来るように。

貯蓄から投資へ?(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/06/11

最近の物価高は、エラいことになってます。
 
 
 
緩やかなインフレが歓迎すべきこととは
分かってはいるものの、それって所得も
上がっていく前提でのお話ですものね。
 
今は良くとも先行きに不安があるとか、
やっぱり増税路線へ大きく舵を切るとか、
その懸念がある限り賃金は上がりません。
だから国民は将来の支出に備えるため、
手元のお金を使わないんですよ。マジで。
 
なのに、「貯蓄から投資へ!」ですか。
 
 
 
まったく意味が分かりませんな。
 
投資とは、主に経済において
将来的に資本を増加させるために、
現在の資本を投じる活動を指す。
 
ということらしいです。言葉の意味では。
けれど、経済学では少し違うんですって。
 
実際に使われなかったお金はすべて貯蓄。
株を買う、外貨を買う、国債を買う…。
これらは形を変えたお金の持ち方とされ、
実は貯蓄に分類されます。何にどれだけ
割り当てるか、ポートフォリオという
言葉もありますが、あくまでも貯蓄です。
 
じゃあ、投資は何かというと…、
工場を建てる、機械設備を導入する、
在庫を増やす。住宅や学校を建設する。
これらは、将来的に資本を増加させる
ための活動。なのだそう…経済学では。
 
けれど、一般人じゃそんなことできません。
そのせいか、しきにりNISA(ニーサ)を
アピールする場面に出くわしますが、
「少額投資非課税制度」? 何か臭いますな。
 
NISAは株式や投資信託で得られた利益が
非課税になるため、個人の資産運用を
応援する制度と言われています。実際に
やってる人も結構いらっしゃるでしょう。
現在の非課税額は年間120万円です。
 
政府が言ってるのはコッチの意味かな。
お金のままで遊ばせてないで運用しろ!
そういう意味なんだろなと解釈します。
 
昔話で恐縮ですが、私がまだ子どもだった
今から40年ぐらい前は金利が高かった。
郵便局(当時)の定額貯金では最高約8%。
これだと10年程で約2倍になる利率です。
銀行でもそこまでではなかったけれど、
今の金利と比べたら、桁が3つぐらい
平気で違ってた気がします。
 
  
 
その後の30年で何が起きたのでしょう?
 
グローバルスタンダードに名を借りた、
強奪にも近い形で起きた富の流出がその答え。
 
日本は元々豊かでした。私の記憶を辿ると、
今より貧しいと思える昭和の後半でさえ、
昨日よりも今日、今日よりも明日は…と
希望を持って生きる活気がありました。
高度経済成長ははるか昔の出来事ながら、
それでも経済は好調でした。金融機関が
貸したお金は企業活動によって富を生み、
貸付金利による大きな利益を齎しました。
またそれを国民に対しては預金金利で
還元しました。だから我々国民は銀行に
口座を開き、「お金を預けた」のです。
本来は銀行へ自分のお金を「貸す」行為。
貸したんだから増やしてね…のハズが、
預かってくれて増やしてもくれる…幸せ。
そういう状況に長らくあったのです。
 
今からは想像もつかない輝ける日本の姿。
なので、悪い連中に目を付けられました。
 
  
 
配当を要求する「もの言う株主」の台頭、
それによる持ち合い株の解消、会社は
社員のものではないのが真の国際標準?
 
いわゆるグローバル全体主義的な主張に
日本国中が気圧され「バスに遅れるな!」
とリストラクチャリングを含めた改革を
進めた結果、外資に日本企業の株式を
大幅に取得されることとなったのです。
企業活動によってもたらされた富は、
社員の賃金に回されるよりも株主配当へ。
これが、この30年余り日本人の賃金が
ほぼ上がらない理由です。本当に残念。
 
水道、電気、ガス、電話、エアコン、
瞬間湯沸かし器、水洗トイレなど。
昔に比べたら、非常に便利な現代です。
優れたインフラやアイテムが揃っており、
殆どの人は生活に不自由を感じることが
ないかも知れません。けれど、この30年、
我々の所得はほぼ横ばいです。しかも、
消費税率が10%上がりましたから、
可処分所得は下がり続けているのです。
 
毎日の生活も、実はやっとやっと。
その上、残った僅かなお金までを
巻き上げようと画策しているのが、
「貯蓄から投資へ!」の本質ですよ!
 
正直、今の50代以上は大丈夫でしょう。
ただし、それは我々の先人たちが
必死で積み上げてくれた数々の恩恵の
上に胡坐をかいてるようなものです。
現代を生きる我々が判断を間違えると、
次の世代や、その次の世代が困ります。
 
何が正しいかを見極めるのは難しい。
目先の利益に目が眩むのは人間の性。
けれど、同じ過ちを繰り返さない。
今よりも傷口を広げないためには、
我々ひとり一人が賢くならなければ!
 
 
お金、人事、歴史を追いかけながら、
真実に近づく努力を継続すること。
耳障りのいい甘い言葉に騙されるのは
いい加減終わりにしないといけません。
 
将来の資本が、今よりも増えるように。

謎のトリ。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/05/26

皐月五月。まさに風薫る季節ですね。
秋には秋の爽やかさがありますけど、
虫が少ない分、快適さでは今の方が上。
 
当社は、堺市臨海部に所在していますが、
すぐ近くにはO阪ガスの製造所があり、
結構広い人工緑地が設けられています。
 
野鳥も居ついてて、耳をすまさずとも
自然に身を置いているような感覚を
もたらしてくれるのは嬉しいものです。
何の声なのかは分かりませんけど。。。
 
それでも「ホーホケキョ」は別格です。
まだ寒い頃から鳴き始め、春の訪れを
告げてくれているようなウグイスの声。
 
   
 
よく通る音色と特徴的なフレーズ?で
一度聞けば忘れることはないでしょう。
 
今が盛りなのか、毎日よく聞こえます。
年によってはお盆過ぎまで鳴いており、
熱心なヤツもいるものだと感心しますが、
それでも声を聞けばウグイスなので、
さほど気に留めることもありません。
秋の訪れと共に静かになっていきます。
 
先ごろ、K国の大統領が交代しました。
時事ネタがロシア・ウクライナ戦争と
知床観光船の沈没、行方不明となった
山梨県道志村のDNA鑑定にほぼ席巻され、
その隙間に今なお報じるコロナ騒動が
散見されるぐらいでしたから、隣国の
大統領選の詳細を知ってる日本国民は
多くなかったものと思われます。
 
 
 
日本で日米豪印の首脳による戦略対話、
いわゆるクアッドが開かれるのに先立ち、
アメリカのバイデン大統領がK国を訪問。
 
「K国の大統領が、日本の総理大臣に先駆け、
 米国の大統領との首脳会談を実現させた!」
 
って、なんか盛り上がってたみたいです。
 
新しい大統領は、尹 錫悦( 朝:윤석열 )。
字ヅラをそのまま読めば、ユン・ソギョル、
あるいは ユン・ソクヨルでしょうが、
本人が望んでいるという理由から、
ユン・ソンヨル、或いはソンニョルと
表記されるらしい。ま、どうでもいいです。
 
 
 
5年ぶりの保守政権と言われてますけど、
先の文在寅がかつてない左翼大統領
(やってることは実質北のエージェント)
だったため、比較するとそう思うだけ。

左の端っこにあったものが、ほんの僅か
右にスライドしたぐらいのことです。
当面は就任祝賀ムードで猶予されますが、
今に国民世論に従う形で反日に傾斜かな。
K国の性(さが)だと言ってもいいでしょう。
 
日Kの関係は過去最悪だと言われてます。
けど、これって日本にとって悪いこと?
私は疑念を感じるのです。テレビや新聞は
やたらと「関係改善は待ったなし!」的に
伝えますが、日本は困ってませんからね。
相手の立場を代弁してるだけなんじゃ?
或いは不適切な工作で篭絡されたんじゃ?
とスパイの可能性まで疑いたくなります。
 
 
 
日本とK国との間には、「相互に」解決すべき
様々な問題があると言われます。一般的には、
 
1)元慰安婦問題?
2)元徴用工問題?
3)ホワイト国再認定?
4)通貨スワップ再開?
5)ノービザでの往来復活? など。
 
けれど、これってあくまでK国側の主張。
実際には、1)は戦時下の売春婦であり、
2)は募集に応募した戦時労働者であり、
3)は大量破壊兵器の原材料になる物品を
ルールに反して第三国へ横流ししたため、
「優遇扱い」を取り消されただけのこと。
どこに解決すべき問題があるのでしょうか。
4)5)とも日本は特に困りませんし。。。
 
それよりも、2018年12月に能登半島沖の
日本海で起きたレーダー照射事件や、その後、
GSOMIA(ジーソミア=軍事情報包括保護協定)の
破棄を自国に有利な交渉をためにチラつかせた
K国の姿勢こそ、問題視すべきだと思ってます。

そもそもK国は全く謝罪してませんからね。
GSOMIAも破棄回避とか、いつでも破棄する
準備はあるなどと騒ぐばかりで信用できません。
「相互に」など、ちゃんちゃら可笑しいです。

 
日本を仮想敵国と定めて日々、反日教育を
行っているK国です。旭日旗に病的なまで
反応し、海軍旗として位置づけられている
海上自衛隊の艦船旗を掲げるなと宣う始末。
 
 
 
戦後補償についても、日韓請求権協定が
1965年に締結されて解決済みの案件です。
政府と政府の間では済んでいる話なのに、
自国の国民に補償が及んでいないことを
日本に対して言ってくる。そんなことは
K国政府に言いなさい!って、バカなのか?
 
日本はK国がなくなっても全く平気ですが、
K国にとっての日本は国を保つ生命線です。
その現実を分かっているのでしょうか?
 
 
 
先日、K国の大統領就任を祝うために
日本からは林芳正外相が訪Kしました。
本当は岸田総理を呼びたかったものの、
あいにく断られてしまったので仕方なく?
 
しかも、大統領就任を祝う賓客を招く間にも、
竹島周辺で海洋調査を行う傍若無人ぶり。
わざとやってるのだとしたら、ナメ過ぎです。
 
それとの関連性如何は分かりかねますが、
元総理大臣の、アノ人も招かれてたのです。
政府側の代表でもないし、当然ながら
現職総理の名代でもない。ぶっちゃけ、
個人的に呼ばれただけの話なのですが…
 
かなしいかな、総理大臣経験者なのですよ。
「関係改善の先生」だと大騒ぎされてました。
嗚呼、目まいが。。。

 
 
 
日本には謎の鳥がいる。正体はよく分からない。
中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「サギ」だと思われている。
朝鮮半島にとっては「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。
 
たまたまネットで見つけた文章ですが、
誰が考えたか、本当によく出来てます。
 

하토야마 유키오 전 일본 총리가 12일 서울 서대문구 서대문형무소역사관을 방문해 추모비에 헌화하고 있다.2015.8.12/뉴스1 

 
「抗日の象徴」の前に跪き、今にも泣きそうな
顔をしていたのは、たしか2015年の出来事。
しかも白い手袋で…。泣きたいのは我々です。
 
「カッコウ」だけは一人前でも、
約束したことは「ウソ」ばかり、
腹の内は「カラス」のように真っ黒で、
疑惑には徹底して口を「ツグミ 」、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるも、
頭の中身は「シジュウカラ」、
やってることは鵜飼いの「ウ」。
 
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。
 
我が国の、消し去りたい黒歴史です。

脱〇〇のすゝめ。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/04/12

4月に入り、色々なモノが値上がりしています。
食用油、麺類、乳製品、ケチャップ、カレーなど
特定の食材に限った値上げでも、嫌なものは嫌。
とはいえ、別の選択肢という逃げ道があります。
 
 
 
けれど、本当に迷惑なのはエネルギーの高騰。
ガソリン代などはこの2年ほど上がりっぱなし。
本来なら、2010年に導入されたトリガー条項、
(2008年8月は最高値182円を記録しています)
 
 
 
こいつを発動すれば、25.1円安くなるのに…
様々なしがらみのせいか政治決断できません。
 
また、ウクライナを一方的に侵略している
ロシアの懸念もあります。戦争犯罪の実態が
明らかになるほど、ロシアへの制裁が強化。
資源大国でもあるロシアからの化石燃料に
依存する国は多いハズなのに取引停止という
諸刃の剣を抜きました。表向きだけは…。
 
 
 
ちなみに日本が昨年輸入した化石燃料のうち
ロシアの割合は原油3.6%、LNG8.8%、石炭11%。
数字的には決して少なくはない量ですが、
欧州のそれとはとても比較になりません。
どの国も哀しいほどロシアに依存しており、
「経済制裁を科す」と言いながらも実際は
自分たちも浴びる返り血。やれんのか!?
 
 
 
樺太にあるサハリン2の権益は重要なので、
日本がそれを手放さない選択肢はアリです。
大昔に手に入れた格安で調達できる特権は
手放した途端にロシアの利益となります。
また、撤退した国が出ればきっと、C国が
進出してくるでしょう。これまで以上の
高値でC国が売りまくり、これまで以上の
資金がロシアを潤わせる。全くダメですね。
 
もうこうなれば、奥の手しかありません。
それが、脱炭素!…って信じられますか?
 
 
 
結論から言いますと、脱炭素は欺瞞です。
つまりは、まやかしとウソ。環境問題は
耳障りの良いフレーズで人々をだまし、
一部の「専門家」に資金が流れるスキーム。
残念なことに昔から決まっているのです。
 
ゼロカーボンとかカーボンオフセット、
カーボンニュートラルにカーボンフリー。
カーボンが炭素だってことは分かっても、
それぞれの言葉が意味するところって、
一般人が正確に説明できるでしょうか。
私も分からないので調べてみました。
 
ゼロカーボン:(再生可能エネルギーの利用など)企業や家庭から排出されるCO2などを削減し、削減しきれない排出量を森林の吸収分と相殺して、実質的に排出量をゼロする。
 
 
 
カーボンオフセット:日常生活や経済活動を営むうえでどうしても排出してしまう温室効果ガスの量を、別の場所で削減・吸収して埋め合わせをしようとする考え方のこと。植樹や森林の管理、再エネや省エネ機器の推進をCO2削減分として相殺する。
 
カーボンニュートラル:いわゆる炭素中立でCO2の排出量と吸収量に注目し、全体として(実質的)プラスマイナスゼロの状態にする。
 
 
 
カーボンフリー:排出量を単にオフセットするのではなく、事業に必要なエネルギー供給からCO2を「完全に」排除する。
 
なんだか余計に分からんくなってきた。
 
結局、ゼロと言いながらも実のところ
排出の辻褄合わせに過ぎず、その反面、
フリーは「自由に排出するぞ」ではなく、
こっちこそが完全排除の意味である。
つまり、それ以外は言葉のまやかし。
そのため、カタカナ用語で表現するも
言葉の解説が不正確なため伝わらない。
オフセットとニュートラルを間違えて
表記するケースも散見される有り様。
 
実はCO2を吸収すると言われる森林も
夜間はCO2を排出する側にまわります。
すなわちプラマイゼロ。その時点で、
この辻褄合わせが欺瞞だと分かります。
 
 
 
何故そこまでして脱炭素に熱心なのか?
研究開発に参画すると儲かるからです。
クリーンさを巧みに装うことで企業の
イメージアップが期待できるからです。
技術では日本に太刀打ちできない国が
ゲームチェンジで市場を開くためです。
そして、市場開拓を目指す連中から
膨大な資金が供給されているからです。
 
話を戻します。
 
オイルショックで人々は大騒ぎしました。
あと30年で石油が無くなると言われながら、
50年たった今、誰も石油が無くなるとは
考えていません。ただ、別の理由づけで
恐怖心を植え付けられ続けているのです。
 
レジ袋も同じこと。捨てられたレジ袋が
海を汚すでしょうか。主原料は原油です。
直射日光にさらされてシャリシャリに
なったレジ袋の行く末を知ってる人も
多いことでしょう。海の上でも同じです。
そもそも、人はレジ袋を海に捨てません。
 
 
 
多くの家庭ではゴミの入れ物に使います。
そして、ゴミとして扱い焼却されます。
しかも元々が原油なのでよく燃えます。
つまり燃焼の助けになるということです。
まったくコレの何が問題なのでしょう?
 
 
 
買い物の都度「レジ袋は必要ですか?」
って、2020年7月1日から累計で一体何度
訊かれたことか。その間およそ21.5ヶ月。
買い物できる日本人が1億人いるとして、
月に10回買い物をしたら215億枚ですね。
1枚3円として645億円。たったそんだけ。
日本の人口1.26億人で割ると、512円。
エコバッグが1つ買えるかどうかって額。
もういいんじゃないかな。やめちゃって。
 
そんなことより大切なのはエネルギー。
余裕があるからレジ袋有料などという
ごっこ遊びが出来るのです。寒い冬に
電力が足りなかったらどうしますか?
 
実際、彼岸の頃に関東・東北でありました。
冬だと別の方法で暖を取り、貴重な電力は
ほかに回すことも出来たのですが、さて。
 
 
 
多分ですが同じことが夏にも起こります。
暑い夏に空調を切る選択が出来ますかねー?
しかも、エネルギー自体が十分ではない。
化石燃料が爆上げしたら電気代も値上げ?
けれど、そこまで急激には上げられない。
(実は値上げこそ一番節電効果があるのに)
良くも悪くもそれが日本という国なので、
寒い時よりも厳しいだろうと危惧します。
 
で、いよいよ考えるのです。ほかに方法は?
 
早い話、エネルギーをもっと効率よく使う。
これに尽きます。ムダな電気は作らない!
 
簡単に説明すると、発電所で化石燃料から
電気を生み出す時点で大量に発熱します。
けれど、その熱エネルギーは捨てられます。
 
 
 
だいたい3~4割に減った電気エネルギーを
我々は利用しています。電気を送るための
送電網の中でも実は数%失われていきます。
 
その電気でエアコンや自動車を動かす?
こんなことは大変非効率。例えるとしたら、
カセットコンロで蒸気をつくって発電して、
その電気でホットプレート使う…みたいな?
 
本当にバカらしい。如何にムダなことか。
しかも車の場合はバッテリーも必要です。
長距離走行のためには重いバッテリーが
それこそ大量に必要です。当然ながら、
走行にも大きく影響。誰が得するんだ?
 
 
 
携帯電話の充電やPC、家電、照明器具、
エアコンの制御などは電気の得意な分野。
それ以外は、化石燃料にやらせればいい。
冷暖房はいずれも電気より効率的です。
燃焼時には熱エネルギーが取り出せるし、
それを使ってお湯を供給することも可能。
給湯器自体が不要になるので実は相当エコ。
お湯が自由に使える暮らしはかなり贅沢。
それが無料で実現するなら是非やりたい!
 
ロシア1国が消滅したところで困らない。
それぐらいのエネルギーカットが可能です。
 
且つ、日本には虎の子の発電技術まである!
 
IGCC(石炭ガス化複合発電プラント)に
GTCC(ガスタービン・コンバインドサイクル)。
しかも両者を組み合わせることで更に効率化。
日本国内だけにとどまらず、世界の各国に
この技術が広まれば、未来はきっと明るい。
 
 
 
そう考えます。但し、ここで疑問がひとつ。
こんな素晴らしい技術が広まらない不思議。
エネルギーを最高レベルで電気に転換する。
それをアピールしないのは…何故だろう?
 
想像ですが答えは多分、原発の存在です。
 
「それほどイイものがあるなら原発不要」
って言われかねませんものね。ですが、
今回のロシアによるウクライナ侵略で
気がつきましたよ。リスクは分散すべき。
 
今までは、誤魔化し誤魔化しながらでも
何とか従来の方法を継続してこれました。
けれど、世界の情勢が一気に不安定化し、
これまで通りの物資が入ってこなくなる
リスクを真剣に考えるべきいい機会です。
小手先の改革では追い付かないぐらい、
世の中は劇的に変わりつつあります。
また、それらを実現するのは政治力である
とともに変革を具現化するのは技術力です。
 
双方備えるのが日本…と言いたいのですが、
少なくとも後者の技術力は有しています。
 
あとは世界を巻き込んでエネルギー問題を
解消していく。脱炭素というまやかしから
目を覚まして、脱電気へと大きく舵を切る。
 
これまで日本には数々の難局がありました。
歴史を学んだ人ならお分かりのはずです。
日本の有事には何故か「英傑」が現れます。
 
 
 
けれど、国民が有事であると認識せねば、
今のぼやぼやした政権が続いてしまいます。
財務省の言いなりで、トリガー条項ひとつ
突破することのできない現職総理では、
有事の日本をハンドリングできません。
 
有権者が現状を変える勇気と気概をもって
この国のありようを決めていきたい。

・国防費の増額
・諜報機関強化 
・緊急事態条項
・スパイ防止法
・自主憲法制定
 
やるべきことは盛り沢山。例えるなら
遊んでばかりの小学生がお盆を過ぎても、
全然宿題に手をつけておらず、誰からも
指摘されないけど実は当人も気にしてる。
そして、夏休みは終わろうとしている。
 
 
 
そんなところでしょうか。。。
では、我々は何をなすべきなのか。
 
やらなければならないのに何もしない。
怠けて疎かにすることは、すなわち怠慢。
我々が脱すべき事柄のひとつでしょう。
 
けれど、それ以上に厄介なのが〇〇。
パチンコ、ソー●●ンド、自衛隊。
これらは日本の三大〇〇と言われるもの。
その〇〇こそが決別すべき最たる対象…かも知れません。

春かな?(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/03/11

…と言いたいところですが気分は晴れません。
立春だと正直まだ寒いけれど、啓蟄を経たら、
虫も山も笑顔になって、ウキウキするもの。
 
それが…、
ロシアの独裁者プーチンのせいで台無しです。
 
侵略を受けているのはウクライナの人々です。
我々が直接的な被害を被ったりはしてませんが、
外食やレジャーの類はすっかり遠のきました。
 
家のテレビでは、ほぼほぼウクライナの報道。
情勢が気になるので、つい見てしまいますが、
それ以上に気になるのはロシア寄りの出演者。
 
 
 
「侵攻を決断したプーチンが一番悪いけど、
 ロシアにはロシアの事情がある。元々は
 ウクライナの中でも親露派が多い地域。
 ロシア語を使っているし、兄弟のような
 国なので話し合いで解決してもらいたい」
 
何を言ってるのだろう…歴史を知らないのか。
 
ドイツによるホロコーストは教えるくせに、
旧ソ連によるホロドモールは教えない不思議。
 
1930年代前半、スターリン政権下のソ連が、
ウクライナで穫れた小麦をすべて奪い取り、
ウクライナ農奴は飢えと寒さで冬を越せずに
何百万人もが命を落としました。当然ながら、
家には住む人がいなくなり、そこへ新たに
大量のソ連人を入植させたという怖い実話。
親露派だとされるドンバスでの出来事です。
 
映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」。
 
 
 
これを観れば真実に近づくことが出来ます。
また少しはソ連(ロシア)という国の本質にも。
真夜中に一人で見ると失禁しそうですが、
間違いなく今、観るべき1本だと思います。
 
そして、案内ついでもコチラもご紹介。
 
 
 
漫画「空母いぶき」とその続編(連載中)です。
映画化もされた作品ですが、その劇中では
「国連軍」と称した中国やロシアまでもが
停戦に介入するという無節操なアレンジぶり。
 
けれど原作では、中国こそが倒すべき敵国。
そして戦いの舞台となるのは尖閣諸島です。
中国の脅威が日々拡大しつつある状況の中、
日本の対応をリアルに描いた作品であり、
大変面白く、一気に全13巻を読了しました。
 
ちなみに、その続編は北極海から始まり、
対峙(退治か?)する国はロシアへシフト。
正直、「今さらロシアか?」と不覚にも
物足りなさを覚えた自分を今は恥じてます。
 
   
 
単行本では第6巻が現時点での最新刊です。
いずれも今、読むべき作品だと思います。
 
ロシアがデカいのは領土と態度だけ。
約束とは破るためにするものである。
 
本当に厄介なのは更に難敵の中国ですが、
まずは今起きていることに向き合わねば!
  
お花畑にいた人々も、流石に今回の件で
目を覚ましただろうと薄々感じています。
 
しかし、それでも夢を見続けたい連中は
残念ながら我が国には多い。平和ボケは
もはや病気のレベル。うつろう四季とは
異なり、常に脳内が春満開!な彼らへの
有効な目覚まし時計はあるのでしょうか。

後味(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/02/22

多分この言葉に続くのは十中八九、
「…が(の)悪い」というフレーズ。
 
日本人選手団の目覚ましい活躍が
まだ記憶に新しい北京オリンピック
(Beijing2022)冬季大会ですけれど、
https://twitter.com/amanojaku2k/status/1495556238108598275
始まる前から予想されていた通り、
大変後味が悪いものとなりました。
 
コロナ禍なのにナゼ開催する?
 
と貶され続けたTOKYO2020でしたが、
それより一段と状況が悪化している
北京冬季大会には反対派も完全沈黙。
 
しかも、冬のオリンピックなのに
天然雪が降らない場所での開催を
全くもって疑問視しない不自然さ。
 
中国共産党の威信をかけた大会で
「ヘマなどするはずがないよ!」と
受け止められているようなのですが、
その期待は見事に打ち砕かれました。
 

 
挙句にROCなる賊が跋扈する始末。
「ロシアオリンピック委員会」って
何なんスか、一体アンタたちは。。。
 
壁の穴から検体をすり替えるなど、
かの国が国家ぐるみで関与していた
ドーピング問題がクロだと判定され
国としての参加は出来なくなりました。
 
ただし、これまで頑張ってきた選手に
罪はないと個人での登録は認めたのです。
それは、クリーンな選手が「個人的に」
参戦するという前提であり、運営側の
「お情け」によって薄氷を踏むように
実現してる「建前」であったハズです。
 
 
 
なのに、個人的どころかチーム戦にも
参入し、開会式へは大統領まで出席する。
(国としては参加できないんじゃ?)
 
大会が始まってもなお、ドーピングの
疑惑が巻き起こり、競技結果に影響が
及ぶ可能性云々でメダルセレモニーも
行われず終い。明らかアウトでしょ!
真面目にやってる選手がバカみたい。
 
ロシアはドーピング関与の疑いが強い。
ただし、ROCとして個人参加は認め、
団体競技への登録は許可しない。かつ、
大会期間中であっても、薬物使用の
問題が再発覚した場合は、ROCの
全選手は出場権を取り消され、既に
授与されたメダルも即刻剥奪される。
 
 
 
バッハ会長にはこれぐらいのことを
言ってもらいたかったです。マジで。
いくら中国の女性テニス選手と妙な
工作を試みても疑いなど晴れません。
(そもそも冬の大会にテニスないし)
 
女子フィギュアスケートの選手たちが
本当に気の毒に思えてきました。
 
前半のSPで4位だった選手が、翌日に
5種類の4回転を跳んで着氷する衝撃。
日本人選手も頑張ってはいましたが、
見た目で相当不利な上に、演技構成が
格段に劣るとあっては勝負にならん。
 
 
 
「こりゃ役者が違うわ」と思いましたし、
表彰台はROCの独占だと覚悟しました。
しかし、現実はそうならなかったのです。
 
勝っても負けても禍根を残すロシア勢。
「私はもう二度と氷の上には立たない。
 こんなスポーツ、大嫌い!」とまで宣う始末。
 
それに対して、銅メダルに食い込んだ
 
 
 
坂本選手の振る舞いの何と立派なこと!
 
「勝つって何だ、それって幸せなのか?」

改めて、考えされられる出来事でした。
 
ロシアでは勝利がすべてに優先するため
技術的には達者でも内面はクズほど未熟。
(結局エキシビジョンには出てましたし)
選手としての寿命が他国に比べて極端に
短いこととも無関係ではない気がします。
 
ソトニコワ、リプニツカヤ、ラジオノワ。
彼女たちは今も元気でいるのでしょうか?
 
「○○○、コ○○○、オソ○○○」
 
 
 
まさしく、その通りだなと思います。
 
勝つためなら何だってする。
クスリぐらい当たり前に使う。
バレたらバレたでシラを切り通す。
何なら大統領のお出ましで突破する。
選手は消耗品。代わりならいくらでも。
 
本当に胸クソな国です。さすが共産主義。
今大会の開催国と国情が似ているので
お互いに非難し合うことはありませんが、
もうこれでアウトだとハッキリしました。
 
共産主義国の参加には制限が必要である。
かつ、共産主義国での開催はNGである。
 
オリンピックが終わると次に始まるのは
パラリンピックです。それまでの間に
緊迫しているウクライナ情勢が一気に
動き出すことを大変危惧します。
(ぬかるみが凍結する今こそ狙い目?)
 
 
 
先ごろ、ロシアではウクライナ国内の
親露派地域を国家として承認しました。
ドネツク州にあるドネツク人民共和国と
ルガンスク州のルガンスク人民共和国で、
ノヴォロシア人民共和国連邦を結成。
親露派ということは反ウクライナ勢力。
そんな連中がロシア国境周辺に陣取り、 
一方的に自治区を形成して国家を宣言。
それを首領国が勝手に承認したのです。
(カタギのやることとは思えません)
 
これ、実は日本にとっても一大事です。
北の端ではアイヌ人の自治区制定が、
南の端では琉球王国としての独立が、
殆どの日本国民が関知しないところで
説明もせずに着々と進められています。
ロシア以上のモンスター国による策略で。
 
「姓」「名」の順が日本と同じウクライナ。
かつては、日本の憲法9条のように
高らかに戦争放棄を唱えていたため、
悲しい歴史を歩んでしまいました。
マジ日本と似すぎですね。話を戻します。
 
平和の祭典を隠れ蓑として、裏側では
利権拡大のための工作を仕掛けている。
それが証拠に武力侵攻を示唆して以降は
化石燃料の相場が高値で推移しています。
 
 
 
アメリカが積極的に介入しない理由が
ロシア同様、資源価格の維持にあるなら
我々は一体、何と戦っているのでしょう?
 
1945年の8月下旬、終戦によって日本が
武装解除した北方四島へソ連(当時)は
兵を進め、今日まで不法占拠しています。
それまで両国の間には、日ソ中立条約が
結ばれていたのにソ連側が一方的に破棄。
 
 
 
かつて、独ソ不可侵条約をドイツが破り、
独ソ戦に突入したことを思い出すなら、
条約など「仲良くしているフリ」であり、
国益を拡大するための道具なのです。
 
律儀に約束を守り続ける日本人とは違う。
アングロサクソンに代表される白人系は、
右手で握手しながら、左手では殴る準備。
舌の数が一枚だけの我々とは大違いです。
 
ベルリン五輪から3年後、ヒトラー率いる
ドイツはポーランドへ侵攻し第二次大戦へ。
1964年の東京五輪開催期間中に、中国は
核実験を強行して、5番目の核保有国に。
ソチ冬季五輪直後にロシアはクリミア半島を
ウクライナから奪い一方的に併合しました。
 
 
 
平和の祭典とされるオリンピックの裏で
軍事作戦が進行していた紛れもない事実。
楽しい五輪が後味の悪いものとならぬよう、
独裁色の強い全体主義国の指導者には、
「力による現状変更は許されない」のだと
今更ながら一層強く認識してもらわねば!
 
けれど、ダメでしょうね。何といっても、
共産主義を生んだ国であり、中国をはじめ
世界中にコミンテルンを展開して、革命の
名の下に各国を内側から崩してきた国です。
その工作によってやらなくてもいい戦争が
どれほどあったことか。嗚呼おそロシア。
 
万が一という以上の確率で侵攻へ動く予感。
 
そのときこそ、北方四島へ自衛隊が上陸し、
「ただいま~」とばかりに制圧したところで
文句言われる筋合いはないと思うのですが…、
 
 
 
やはり今の日本人には出来ないでしょうね。
まともな国会決議ひとつ出せんのですから。
 
今月アタマにようやく決議されたのがコレ。
中国とも、人権侵害とも、非難とも記述されず!
 
 
 
世界各国が中国の人権弾圧を厳しく問う中、
一部の親中派勢力が猛烈に反対したのです。
元の文章も押しの弱いものでしたが、それが
赤ペン添削によって一層骨抜きとなりました。
このなんちゃって感は、誰の仕業なのか…
 
 
 
本当に後味が悪いです。またその一週間後に
今度は「ウクライナ決議」がなされました。
本来は対露非難決議のハズなのにロシアを
名指しはせず、「国外勢力の動向による
ウクライナ情勢不安定化」に対してという
これまたなんちゃって決議。何がしたいの?
 
こういうときに使用するべきフレーズの、
「断固非難する」ではなく、
「強く非難する」でもなく、
「非難する」ですらない。
ずっとずっと軽い「深く憂慮する」って。。。
 
何にビビってるのでしょうか。そんなことで
奪われた領土が戻ると思ってるのでしょうか。
 
或いは、問題があること自体に意味があり、
解決するかのように振る舞うことが真の目的。
つまり、ゆすり・たかりの感覚なのでは?と
ついつい勘ぐりたくもなってしまいます。
 
けれど、相手方が過剰に反応しているのは、
それだけ後ろめたいと感じているからです。
世の中には、やられたらやり返せる権利、
すなわち「報復権」が存在していることも。
 
先の大戦を裁いた連合国側は承知してます。
報復できる国があるならば日本であることを。
東京裁判という茶番が演出された背景です。
 
 
 
あれから七十余年。プレスコードで検閲され、
マスコミが震え上がったGHQはありません。
けれど、今なおGHQが強いたWGIPの
番犬として機能し続けるのは何故でしょう?
 
 
 
我々がそれを受け入れているからでしょうか?
 
殆どの日本人にとって答えは「ノー」です。
(全能感を抱き共産主義に強い憧れをもった)
進歩的文化人を気取る自称エリートらによって
思想を支配されているからです。政治家たちも
非難されることで選挙戦が不利になるのを怖れ、
当たり障りのない振る舞いに徹するのです。
 
 
 
現政権を率いる岸田総理や参議院から鞍替えの
林芳正(リン・ファンチョン?)外相のように。
 
国民は話を聞くことのみを望んではいません。
言うべきときには言ってくれることを、
しかるべきときには決めてくれることを、
やるべきときには実行してくれることを、
多くの日本国民はきっと望んでいるはずです。

 
けど、自衛隊作戦まではやれないでしょうね。
いくら隣国から不法占拠された島の奪還には
大義があるといえ、やはり後味が悪いですし。
 
その点のみ、あっち側の国は大したものです。
後味という概念自体がないのでしょうから。

「多様性」が招く不自由。(カテゴリー: 月刊社長ブログ)

更新日:2022/01/15

令和4年となって2週間。本日15日は「小正月」です。
大阪の田舎にある我が家では、小豆粥を頂きました。
 
 
 
古くは、年越しの準備やら年始の支度やら、男衆が
挨拶回りで往来をするのに合わせて、台所を預かる
女性たちは息の付く暇もなかったと言われます。
 
そりゃそうです。煮炊きにガスは使えませんし、
電気でタイマー通りにご飯は炊きあがりませんし、
冷蔵庫がないとなれば、いくら冬でも、買い物は
それこそ頻繁にせざるを得なかったでしょう。
 
たかだか数十年程度前の暮らし振りなのですが、
現代に暮らす我々の日常とは本当に大違いです。
 
その年末年始の煩雑さがひと段落する頃、
やっと「私らの新年」として小豆粥を作り、
お祝いしたのが「小正月」の謂れだそうです。
 
ここで、ふと思うのです。
それは、どんなイベントだったのだろうか?
 
旦那衆が食べる新年の御膳にくらべたら
極めて質素で味気ないものだったのかな。
同じ時期に、同じ食事を取れない身の上を
呪う、悲哀に満ちたものだったのだろうか…。
 
私は、きっと楽しいものだったと思います。
気の置けない仲間と、美味しく頂く小豆粥。
見た目は質素でもほのかに甘く栄養満点。
じゅうぶんなご馳走だったことでしょう。
だからこそ、現代にも受け継がれています。 
 
 
 
「みんなちがって、みんないい」
 
多様性を認めようと叫ばれて久しいですが、
現代で前述のような風習が残っていたなら
男尊女卑だの、女性にも権利を認めろだのと、
おそらく、やかましく言われることでしょう。
 
「違いがあること」はいいんじゃなかった?
 
もちろん、欧米型の奴隷に代表されるような、
相手を人間として認めないという人種差別は
許されることではありません。また、現在も
お隣C国が武力制圧した地域を自分の国だと
喧伝し、特にウイグル自治区としてあの地域
(正しくは「東トルキスタン」という国) を
 
 
 
実効支配して人権弾圧を行っていることは
筆舌に尽くし難い非人道的な行為だと言えます。
 
日本は、そんな愚劣国とは全くもって違いますよ。
当事者たる日本人が一番分かっていないのです。
 
歴史戦で隣国にやり込められ、後の世代にまで
余計な負の遺産を残す結果を招き入れたのも、
ひとえに、自国の正しい歴史を知らないがため。
断じて学校で教わったような国ではないのです。

 
神社へ初詣に出かけた人も多いでしょうが、
そもそも、どんな神様が祀られているのか…
分かって参拝する人は少数派だと思います。
 
きいたところで一度では覚えられないほど
難解な名前の神様が多いとはいうものの、
「八百万の神々」と言われるだけあって、
日本人の信仰意識は自然と祖先が中心。
 
唯一神を信仰して異教徒を厳しく廃絶する
一神教の信者たちとは根本的に異なります。
 
いわば、信仰はあるけど無宗教に近い状態。
それが一般的日本人の感覚なのでしょう。
なので、様々な神様を信じられるのです。
 
けれど、その中の最高神はというと…、

 
 
 
伊勢神宮(内宮)にお祀りされている
天照大御神なのです。女神さまですよ。
ちなみに、伊勢神宮(外宮)は豊受大御神。
お世話役をするこちらも、女神さまです。
 
こんな国は、日本以外ありません(多分)。

 
1919年に世界の表舞台で史上初めて、
人種差別撤廃を提起したのが日本です。
 
欧米やC国型の愚劣な価値観を称賛し、
踏襲する必要はどこにあるのでしょう?
 
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など
一神教を崇拝している連中から多様性を
指南される筋合いはないと、断言したい!

 
年末に放送された、某局の紅白歌合戦。

第72回を数えるスーパーお化け番組ですが、
昨年はどっちの組が勝ったでしょうかね?
 

 
WEBに掲載されている情報によると、
 
〇組が優勝しました
応援ありがとうございました。
2022年もよろしくお願いします。
 
となってますが、別にどっちでも…
ってのが一般国民の正直な感覚。

それぐらい、子どもだって分かってる。
 
けれど、表向きは「歌合戦」なのだから
せめて番組の仕立て上は、競って欲しい。
 
そこで出た昨年のテーマが、「カラフル」。
 
 
 
もう、この時点で香ばしく臭ってきます。
2年前にみたMISIA with レインボーや
半年前の東京五輪国歌斉唱時に着用した
ゲイ作の衣装がトラウマになってるのか…。
そう思うと、先日の演出は多少マシでした。

 
とはいえ、組別のキャプテンがいない。
紅組と白組が交互に歌わない。
紅白で全く応援合戦をしない。
けれど、最後は勝敗を決める。
しかも申し訳程度にやっている感アリアリ。
(やめると紅白歌合戦ですらなくなる?)
 
ある意味、LGBTQ的な連中を一括りにし、
「桃組」で出した方がマシにも思えます。
なんで、こうなっちゃったんだろう???
 
アメリカでは、男女別のトイレがなくなり、
ユニセックス(いわゆるジェンダーフリー)に
変わりつつあるのだとか。家庭のトイレなら
まだしも、公共の施設では…嫌でしょうね。
 
 
 
お隣のK国では、性自認を重視しすぎて、
女性用のサウナに、自称女(生物上の男)が
入って問題となり、それを排除した店側を
アッチ界隈の団体が取り囲んで猛烈糾弾。
営業的にも大きな損失になったそうです。
 
我々が進むべき道とは違い過ぎますな。
 
多様性が認められる社会は素晴らしい。
そのこと自体に、異論はありません。
けれど、行き過ぎた権利を認めることは、
これまで我々が受け継いできた日本の
価値観を著しく誤った方向へ歪めます。
 
 
 
古くから民主主義を確立させ、

(democracyの誕生前からの概念で)
身分や人種の差別がなかった日本。
 
就きたい職業に就き、
読みたい本が読め、
言いたいことが言えて、
好きな人と(承諾があれば)結婚できる。
(婚姻は両性の合意のみに基づく前提)
 
極めて寛容に個人の権利が認められ、
自由に暮らせる我が国日本において、
この上、何を求めようというのか?
私にはサッパリ訳が分かりません。
 
・多様性というのは実は不自由である。
 
 
 
・そして、SGDsはまやかしである。
 
少なからず前者は証拠が揃ったようです。
しかしながら、後者は未だ見えにくい。
 
我々が豊かになれる策ならば歓迎しますが、
どうも真逆の臭いプンプンでたまりません。
 
令和4年も、誤った情報に踊らされず、
真実を見極められるよう努めたいです。
 
今年こそ、皆が幸せな1年でありますよう。

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